「西日本学習会」報告〜プロフェッショナルたち〜

2月「西日本学習会」報告

去る2月28日(日)、大阪・兵庫・京都・和歌山・三重をZoomで繋いで、オンライン学習会を開催しました。

主な内容は次の2点です。
1 参加者による各実践の紹介
2 理論学習
以下に、その一部を紹介します。

1 東京書籍「プロフェッショナルたち」の実践
 3人のプロフェッショナルについて紹介された文章を読解するにあたり、教師による一問一答によって授業展開するのではなく、プロの「◯◯さんが大事にしていること(軸)は何だろう」「その軸に対してどのような要点が位置づいているのか、自分自身で分析してみよう」と投げかけた。子どもたちの中には、自主学習ノートに立体図をかいて分析してくる子もいた。授業では、子ども同士が考えを磨き合い、個々の考えを深めていった。
<参加者の意見>
・まず「伝えたいこと」があって、書き手が要素を配置している。そのことを読み手が十分に理解して読むことが大事だと感じた。東京書籍「プロフェッショナルたち」においても3人のプロの生き方を編集した書き手に注目できるとよい。
・要点を書き出すだけに止まり立体図を書けない子は、友達と磨き合う中で承認される機会を積み重ねていくと立体図を書けるようになるのではないか。
・プロフェッショナル一人一人の部分に行く前に、文章全体で言いたいことを、子どもたちに捉えさせると良かった。例えば、「プロフェッショナルたちから、生き方を学ぶ」「プロフェッショナルたちの素晴らしいところはどんなところか」等。その軸を子どもがつかんだ上で、一人一人の部分にいくと良かった。
・時間がない時こそ、「文章全体の意味を一目でわかるように表そう」と投げかけると、「生き方の素晴らしいところはどこかな」と、子どもから動き出すだろう。これも、洞察、分析・統一の操作である。


2 理論学習
『人間変革の学習論』沖山光著(不二書房)P49~P57(第二章1,2)を読んで

<参加者の意見>
・多くの教科書会社が「はじめ・中・おわり」に触れているが、「はじめ・中・おわり」だけでは、書き手の意図に目が向いていない。相手意識を持って、書き手の意図を受け止めることが大事なのに、「はじめ・中・おわり」の形式のみに注目して当てはめようとすると、書き手の意図を拾うことができない。愛を持って相手の意図を受け止めようとする「君語り我聞く」とは全く異なる。
「はじめ・中・おわり」には軸がない。文と文との関係がつかめない。つまり、筆者の意図がつかめない。形式の確認だけになり、筆者の思いがどこにも表れていないことになる。
構造図を書くと、「はじめ・中・おわり」も自然と位置づけられる。構造図の方が上ではないか。
「はじめ・中・おわり」は基礎学習上、知識として知っておくことは悪いことではない。しかし、個々の考えを作る上では「軸」を洞察して、各要点がどのように位置づいているのか、要点と要点がどのように関係づいているのかを捉えることの方が重要である。
・「はじめ・なか・おわり」を否定しているのではなく、考えずに形式化することがいけない。それは、脳の働きを止めてしまい、融通のきかない人間を作ってしまうことにつながる。構造学習は、脳の働きにまで考慮した学習理論である。