構造学習とは

 構造学習は、自分自身で問題をつかみ(目的を持ち)、自分自身の力で解決(追求)する力をつけていく学習方法です。


構造学習の原理の根幹

 

 構造学習は学際理論が根底にあり、構造主義のアプローチが、国連の名において取りあげられています。未来学問的な立場の一つであることを考えると、構造学習論に地軸をおいた実践者は、これだけの学問をもっているのだから、何事があってもふらふらせずに集中できるのです。  

 沖山先生は、言語学者であり哲学者でもあったスイスのソシュールの「言語」「言」の識別に着眼されました。そして、言語を基礎学習、言を基本学習と名づけられました。
 基礎学習は、社会的なもの、個人の自由にならないもので、例えば漢字とか計算とかのように正しく覚えるといったものであり、社会の所産です。基本学習は、個のものであり、自己の形成にかかわるものであり、個の所産です。      
 従って構造学習の方法は、この両者の識別に合った学習方法が考え出されています。特に基本学習は人間生活の中で自らが自らを形成するため、ひとり歩きの学習をすることになります。
 その生活を大別すると二つあります。一つは意味構造体が形成されていることです。それに出会うことによって、文章の全体を一貫している軸を洞察します。そして、軸を頭において部分と部分の関係を分析しながら再構造化するのです。
 もう一つは、バラバラな状態に出会うことです。そこに矛盾を感じ、問題をもち、解決の方向を見通し、調べる。それによって躓く。そこで、観点を変換して調べ直す。そこで分かったとなる。この主体の構造化であります。
 前者の再構造化はウェルトハイマーのゲシュタルト理論、後者の構造化はピアジェの認知発達理論から創出したものです。
 この両者の構造化が一人一人に可能になることが、ひとり歩きの学習であります。可能ならしめるために、構造思考トレーニングによって、具体操作法が体得されることになっています。 
             構造学習研究所長  金井 里子

 

 

 

本当の学習とは何か

 わが国で「構造学習」を提唱したのは、沖山 光先生<1905(明治38)年生>で、昭和30・40年代の教科調査官時代に教育現場に大きな影響を与えました。

 沖山先生の主張は、次のような学習観に基づくものです。

 「『学習する』ということはその主体が生徒自身にあります。したがって、学習する順序や操作方法が生徒に体得されていて、その学習の順序に従って、与えられた問題を解明していく一連の行為が、学習の主体である生徒自身(個々の生徒)によって行われていくものであります。」(「構造国語教育入門」より)

 学習する順序とは、勝手に順序を決めるということではありません。学習には、基本的な学習のプロセスがあり、そのことをよく理解していることが大切です。しかし、プロセスはどこまでもプロセスであり、それを知っていたから学習が成り立つというものではありません。そのプロセスに学ぶ側の思考操作力がどう備わっているかということが重要です。プロセスと思考操作の関係こそが学習の成立に欠かせない問題なのです。
 
 沖山先生が主張されたことは、常に発問に導かれてしか成り立たない当時の授業のあり方に、鋭い疑問を投げかけるものでした。それは今日もなお問われ続けている課題です。

                      樋田 明