研究所長のコラム①

構造学習論から見える景色

全国構造学習研究会研究所 太田由紀夫

  

 新型コロナウイルス終息により、様々な所で元の状態への回復が試みられている。しかし依然として感染の脅威はぬぐいきれていない。  

 それは、どうしてであろうか?人類とウイルスとの戦いの全貌が見えていないからだと思う。構造論的に言えば、全体が見えず、感染防止対策が部分の寄せ集めだからである。つまり、全体の軸がないのである。

「新型コロナウイルスは、人類共通の脅威である。」

これが全体、そこで、感染防止あるいはウイルス根絶のためには、

「人類の英知を傾け、医学的知識・技能を集約する」

という世界共通の軸が必要になる。すべての事柄をこの軸に統一する、経済優先か、感染防止かの2者択一ではなく、この一貫した軸にすべてが統一されれば、部分(対応や対策)は軸に位置付き、対策に一貫性と順序性ができるわけである。それが、安心感を生みだすことになる。

 

 

 いつだったか、滝澤武久先生(*ピアジェの発達心理学研究者)の講演に「構造には3つの性質がある。一つは全体性、次に変換性、そして制御性である。」この話はとても難しかった。しかし、今思えば、構造的見方とは、対象に対する認識の方法(思考方法)ではないかと考えるようになった。

 例えば、目の前の現象や事実を全体(大きな視野で)としてとらえる。つまり、新型コロナウイルスの感染という人類共通の災いととらえたときに、では、変換性とは、「感染症という病魔は姿かたちを変え、現れることだ。」と考える。制御性とは軸への回帰ではないか。つまり、病気と闘う人類の歴史は、ペスト、天然痘など繰り返されている。そのときやはり、命を救おうという強い意志と努力で克服してきたのではないだろうか。だから、まず「命を優先させる」という一貫した軸を洞察思考によって導く、それが構造的思考なのである。

 こう考えると、構造的思考とは物の見方・考え方として問題解決の大きな思考の道具だといえるのではないかと考える。