西日本学習会では、子どもたちにどのような資質・能力を育みたいかを明らかにしながら、トレーニング文作りの吟味を行いました。
雪
①「雪だー。」
②ぼくの町は、めったに雪が降りません。
③ところが、今朝、窓を開けたら雪がたくさん積もっていました。
④雪合戦をして遊びました。
⑤雪だるまも作りました。
⑥そして、最後に大きなかまくらを作りました。
⑦「晩ご飯よー。」と言われても、かまくらから出ることはありませんでした。
【協議内容】
・軸は、「嬉しい」「楽しい」「雪が好き」であろうか。
・「楽しい」と「嬉しい」の言葉に差はあるのか。境目はどこか。
・「私は楽しい人が好き」は言うが、「私は嬉しい人が好き」は言わない。「嬉しい」は感情を表す言葉である。「嬉しい」は人から評価されたり与えられたりする等、外からの要因がある。「楽しい」は自分自身がやってみて感じる自分からの矢印。一文を入れることでハッキリするのではないか。
・「嬉しい」「楽しい」も軸に当てはまると思うが、意味発見するとどんな心が表れてくるかを考えるとよいのではないか。
・「嬉しい」「楽しい」は、どんなときに用いるのかは、基礎学習で身に付けさせればよいことであり、思考トレーニングとして「考え方」が分かればよいと考える。理論学習で学んだ通り、「思考トレーニングは準備学習ではない。無心にそのものの中に没入できる構えができる。人間にとって、それは、宝である。自分の一生を支えてくれる宝だ。」ということを考えると、「嬉しい」でも「楽しい」でも良いように考える。
①がないとスッキリするかも知れないが、①は印象的でステキな文でもある。③で外からの要因として雪を見た瞬間は「嬉しい」と感じたが、自分自身が動いて活動している④⑤⑥は「楽しい」という思いが出てきて、最高潮は⑦になるだろう。そのように考えると、軸は「楽しい」とも考えられるが、「雪が好き」という軸でも考えられるかも知れない。
・限られた授業時数の中で、初期の思考トレーニングにおいても構造的に物事を考える構えを身に付けさせるために、〇と△を入れたトレーニング文を作成した。②は引き立たせる△の文で③は原因・きっかけの▲、④⑤⑥⑦は軸を表す○の文だが、⑦が一番強い◎ということを想定して作成した。かまくらに入って過ごす経験が初めてかも知れない主人公は、かまくらに入りながら、昼間の雪合戦や雪だるま作り、そして今入っているかまくら作りを回想し、堪能している。④⑤⑥の文が⑦にすべて吸い込まれて集約されている。①がないトレーニング文は、「ぼくの絵」等でよく見かけるが、あえて揺さぶるためと、会話文から始まる文章の魅力を学ぶ機会(基礎学習の範疇になる)とした。もし、主人公の親が「もう、仕方ないわね」と夕食をお盆に乗せてかまくらの中へ来て一緒に食事をするときに、「嬉しい?」と尋ねたとしたら「うん!」と答えるだろう。「楽しい?」と尋ねても「うん!」と答えるだろう。「嬉しい」と「楽しい」のどちらかが正解で、どちらかが不正解というのではなく、主人公のプラスの感情を洞察できれば良いのではないだろうか。このトレーニング文に改良を加えるとしたら、次回までの宿題として各自で考える。
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和歌山在住中学校教師 (月曜日, 23 5月 2022 00:24)
めったに降らない雪が降った。その雪で遊べることへの【喜び】が軸ではないだろうか。
>④⑤⑥の文が⑦にすべて吸い込まれて集約されている。
やや疑問がある。かまくらは、「それを作ること」「中で過ごすこと」のどちらが遊びの軸かは判断の分かれるところだと考える。前者だとすると最高潮は⑥であり、⑦については、楽しい時間の終わりに対する未練(名残惜しさ)と捉えることができる。
栃木在住小学校教師 (月曜日, 23 5月 2022 20:33)
◎の捉え方は、軸の気持ちが1番盛り上がっている場面とも言える(「スーホの白い馬」で、スーホが王様に「馬を売りに来たのではない」と言った場面)。
また、◎は、軸に関する多くの気持ちが込められている場面とも言える(白馬とのことを思い出しながらスーホが馬頭琴を弾いている場面)。本会ではそれを「重みづけ」と呼んでいる。
どちらを◎とするかは、読み手の判断。かなあ?
なんでもありということではなく、個人の読み(文章の再構造化)を交流させる(磨き合う)ことで「深い学び」を実現させたいですね。